格差社会は無くならない
貨幣経済の世の中では、格差が出てくるのは仕方のないことなのである。
もともとお金は、効率を追求するために作られたものなのだから、当たり前のことなのである。
最も仕事を効率よくする方法とは、当たり前のことだが、人件費の高い人を使わないことなのだ。
効率を追求した結果、工場では機械が工場労働者にとってかわり、オフィスでは、パソコンが事務職を奪っていった。
そして、それまで企業を支えてきた熟練労働者や中間管理職は、
企業にとっては、賃金の高い不要な人材となってしまったのだ。
例えば、今から20年前ではパソコンは世の中にほとんど普及していなかった。
その時代にあっては、経理事務は、企業にとって重要なポストであった。
ところが、今ではパソコンが1台あれば何人もの経理事務員の仕事をする時代になってしまったのだ。
つまり、それまで必要であった中間管理職や熟練労働者は、もう必要なくなったのだ。
機械やパソコンが増えれば増えるほど、また、技術革新が進めば進むほど、人間の仕事は減るのである。
そして、残された仕事とは、賃金の安い仕事だけなのである。
また、今ではグローバル化が進み、企業は激しい競争にさらされ自らが滅んでしまう前に
とにかく人件費の安い中国や東南アジアに進出しなければならなくなった。
今まで日本を支えてきた日本を代表する企業が次々と日本から出ていっているのである。
結果として、日本はどんどん空洞化が進んでいるのだ。
貨幣経済においては、利益と効率が最優先されるのだから、考えてみれば当たり前のことが起きているのである。
そして、一部の特権階級ともいえる人のみが莫大な富を所有し、そのほか大半の人たちはお金の奴隷として生きているのだ。
このように利益を追求する貨幣経済においては、最終的には必ず二極化が進むのである。