人間らしく生きるって何?
お金さえあれば何でもできる世の中になってしまったのは、いつの時代からなのか?
それが顕著に現れてきたのは、おそらく明治時代になってからではないだろうか?
それ以前は、紙幣でないがゆえに貨幣(金貨や銀貨)そのものの製造も少なく、
流通する貨幣としては、まだまだ不十分であったに違いない。
世の中に出回っているお金そのものが少なかったのだから、お金など持っていないのが当たり前の時代だった。
そのような時代にあっては、主食である米が貨幣の代わりをしていたのかも知れない。
いずれにせよ、お金が無い時代でも、食べること、寝ること、清潔を保つことはできていたのだ。
今の世の中のように電化製品や車、立派な家具、調度品がある生活よりも
その時代の方が心は豊かだったのではないだろうか?
現代は、私利私欲が無限に膨張する究極の拝金主義がはびこっている。
拝金主義とは、金銭を無上のものとして崇拝することである。
お金のために働き、お金のために媚びへつらい、憎しみ、奪い合い、殺し合い・・・・
考えてみれば、それも当然の帰結かもしれない。
お金が無ければ、生きていけない世の中になってしまったのだから・・・・
「生きること」=「お金を稼ぐこと」
お金は、命の次に大切なものとなってしまったのだ。
貨幣経済が人類にもたらした功罪
もともと、お金はいつ、どこの誰が発明し、どのように世界に広がったのか・・・・
金貨や銀貨あるいは米ならば、素材そのものに価値があった。
紙であるがゆえに、素材そのもにほとんど価値が無い紙幣は、コストが安いため大量に作ることができる。
紙のお金である紙幣が開発されてからは、お金が大量に出回るようになった。
さらには、現代では電子マネーまでが流通するようになり、お金を製造するコストがなくなってしまったのだ。
私たちがすでに使い慣れている銀行振込も現金を使わずにカードだけで振り込めたり、
インターネットでも資金移動することができる。
株の取引や不動産はもちろん、少額の買い物までもがクレジットカードがあれば現金が要らないのである。
もう、たくさんの現金を作る必要はないのである。
コンピューターのボタン操作だけでいくらでもお金を作りだせるようになってしまった。
お金がますます大量に出回る仕組みが出来上がってしまったのである。
お金というきわめて便利なものが大量に出回ると、人はみなその魅力に取り付かれてしまった。
その魅力的なお金を手に入れんがために、人はみな知恵を絞り、より優れたもの、
より効率的なものを考え出し、お金を儲けた。
そして、その結果として世の中が飛躍的に発展したのも事実なのだ。
お金が発明されていなかったならば、文明も文化も経済もこれほど飛躍的に発展することはなかっただろう。
お金は、人類が発明した最も便利なものであったが、同時に人間の心を限りなく邪悪にしてしまったのではないだろうか?
邪悪とは、自己中心的で、自らの欲望の実現のためならば、
他者を不幸にすることすらいとわない、きわめて悪いことである。
お金は、物質的には人類をもっとも豊かにしたが、はたして私たちの心は豊かになったのだろうか?
お金の正体とは?
お金さえあれば何でもできる世の中になってしまった。
おそらくは世の中の犯罪の90%以上がお金が原因なのではないだろうか?
それほどまでに、人類はお金というウィルスに完全に犯されてしまっているのだ。
人類のほぼ全員がお金に魂を売ってしまったのだ。
お金は人のあらゆる欲望を満たし、人の心を惑わし、邪悪にする魔力を持っている。
人はみな、お金の魔力に取り付かれてしまった。
お金のためならなんでもする人間になってしまった。
なぜなら、お金がなければ1日だって生きられないのだから・・・・
お金は、ひとりでに勝手にどんどん大きく膨張し、その勢いはとどまるところを知らない。
もう、誰にも止めることはできない。
そして、お金は万能ともいえる力をつけてしまった。
神にも近い存在となってしまった。
今、私たちが生きている世界は、お金がすべてを支配しているといってもいい。
お金を発明し作り出した人間が、逆にお金に支配され、がんじがらめにされ、身動きが取れなくなってしまったのだ。
お金の奴隷になっているともいえる。
お金の言いなり、お金のためなら何でもする人間にされてしまった。
朝から晩までお金お金お金・・・のことばかり考えて生きる人生。
貨幣経済の世界では、お金のあるものが豊かに暮らせ、無いものは惨めな人生を送らなければならない。
お金のあるときは、豊かな暮らし、無くなった途端に、どん底の暮らしになってしまう。
お金があるか無いかだけで、人生が変わる、お金しだいの人生。
もしも、宇宙人がいて宇宙からお金を見たら、ただの紙にしか見えない。
その通り、紙幣とは読んで字のごとし、ただの紙なのだ。
色々と複雑な絵が描いてはあるが、ただの紙に○○円と書いてあるだけなのだ。
でも、ただの紙なのになぜそんなに力を持っているのか?
それはそれぞれの国家がその紙の価値を保証しているからに他ならない。
そして、使っている私たちもその紙の価値を闇雲に信じているからだけなのだ。
やがて、その紙すらなくなる時代がくるだろう。コンピューターという機械に数字が記録されるだけの時代が。
人類が自ら作ったお金に支配され、自ら作ったコンピューターという機械に管理される時代になるのである。
仮にそのコンピューターが誤作動を起こせば、
一瞬にして記録されているはずのお金がなくなってしまうこともあるかもしれない。
また、その逆に一瞬にして、今まであるはずのない記録が作られることもあるかもしれないのだ。
今やお金は、実体経済とはかけ離れた金融取引(デリバティブを代表とするバクチ)で使われているほうが多いのだろう。
今まで一部の企業が中心に取引してきた金融取引も、現在では一般の個人までもが参加できるようなFX取引等がでてきている。
額に汗して得た労働の対価は少なく、バクチで得たあぶく銭のほうが簡単に大金を得ることができる。
本来、効率よく世の中を発展させるべく考え出されたお金が、世の中の発展とは全く関係のないところで大量に使われ、
不公平に分配されるようになってしまった。
そのようになってしまったお金に、果たしてどのくらいの価値があるのだろうか?
本当のお金の価値とは、何なのか?私たちは、もう一度考え直さなければならないのではないか?